設立趣意書


2010年11月26日 設立準備会

地域における子どもの生存・発達の「危機」のなかで

 この四半世紀、北海道でも、雇用の不安定化、福祉・医療・教育などの商品化、格差と貧困の新たな拡大、生活圏としての地域の崩壊、日常の人間関係の分断と希薄化など、地域社会の著しい変化が進行してきました。北海道に生きる私たちの間にも、「生きづらい世の中になっている」という実感も広がりつつあるように思われます。
 こうした状況のなかで、北海道の各地域でも、少なからぬ子どもや若者たちが、生育に必要な養育を十分に受けられず、家族関係や友だち関係の緊張にさらされ、学ぶことに意味を見出せず、将来の人生に不安を感じています。心身に不安定さを抱え、自分や他人に攻撃的になり、心に深い「傷」を負い、「病い」を抱えるにまで至る子どもや若者たちの姿も目立つようになってきました。
 今、北海道の地域社会には、「社会崩壊」とでも言うべき状況と、子どもたちの生存・発達をめぐる新しい「危機」的状況が広がっているのではないでしょうか。

子ども理解を深め、子どもを支え合う新しい共同関係を探る

 しかし同時に、いま、北海道では、さまざまな人々が、自らの生活の質を問いなおしながら、困難に直面して不安定になっている子どもたちと共に生き、その子たちの生活感情とその表現をていねいに受けとめ、そこに含まれている「生き方への問い」を共に考え、その子たちの生存・発達を支えようとする、援助的・教育的実践が展開されています。そして、そのための共同関係を創る模索が粘り強く重ねられてきています。
 「不登校」や「非行」の子どもを抱える親(養育者)たちの支えあいの動き、「障害」(発達障害を含む)を抱えた子どもやその家族に寄り添い支援する人々の努力、学習につまずいた子どもたちに「学ぶ喜び」を体験させたいと願う地域の人々や教師たちの動き、「ひきこもり」の若者たちの「居場所」を創り、社会への参加を支える人々の試み。たとえばこれらの動きを想い起してみただけでも、それは確かな事実であるように思われます。
 子どもの生存・発達の危機的事態を直視するとともに、子どもたちへの理解を深め、その子たちの生存・発達を支えようとする人々の多様な試みに関心を向け、その実践的・理論的な意味とより広く深い共同の可能性を探求することが重要な課題となっています。それは今日の状況下では、日本の「学問と思想」の構築にとっても、一つの重要な課題となっているのではないでしょうか。

発達援助専門職・教育職の専門性を問い直す

 いま北海道には、福祉や医療や心理臨床や文化や教育などの諸領域で、子どもたちへの理解を深め、その子たちの生存・発達を支えようとする人々の動きに関わって、地域で大切な働きをしている専門職の人々がいます。
 これらの発達援助専門職の人々の間では、今、自らの専門性を、各領域に閉じこめることなく、子どもを、その家族や地域住民と共に、また他領域の専門家と共同して支えることのできる、開かれた専門性に発展させる必要が共通に自覚されてきています。こうした発達援助専門職の人々の専門性の問いなおしの動きに注目し、その意味を考えることも、今日の重要な学問研究の課題です。
 現代の発達援助専門職の一翼を担う学校の教師たちの間でも、不安定な姿を示す子どもたちの表現を受けとめ、その子らの生育史と内面の感情・思考の動きについて理解を深めることが、重要な課題として意識され始めています。そして、全国でも、北海道でも、子ども自身が、生活の中で直面する切実な問いから出発し、世界と自分について理解を深めながら成長していけるような学習指導(学びの支援)を創りだそうとする試みも始まっています。
 それは、単なる教える人(teacher)にとどまらず、子どもの人間としての全体的な育ちを親・住民や他領域の援助者たちと共同で支えていく、教育者(educator)であろうとする新たな教師像の模索でもあるように見えます。こうした教師たち自身の模索の試みに即しつつ、 教師の専門性を問いなおし、教師の養成・教育・研修の改革の方向を考えることも、時代の焦点的な課題として浮上してきています。

臨床教育学の構想と「臨床」という言葉 

 臨床教育学の開拓の試みは、ここ20年ほどの間、日本の教育学の世界で多様に積み重ねられてきました。しかし、臨床教育学という言葉には、まだ、確定した定義があるわけではありません。私たちは、現在のところ、以上に述べた状況認識と課題意識を踏まえ、臨床教育学を、次の三つの側面を持った「総合的な人間発達援助学」であると考えています。

(一)

子どもや若者やおとなの生活について理解を深め、人々の生存と発達を支えるための、総合的な人間理解と発達援助の学問。

(二)

福祉・医療・心理臨床・文化・教育などの諸分野で働く発達援助専門職の専門性の問いなおしとその養成・教育の学問。

(三)

とくに、教師の専門性の問いなおしとその養成・教育・研修の改革のための学問

 なお、臨床教育学の臨床という言葉については、「病い」を抱えた子ども・人々を対象にするという意味だけでなく、今日の社会を生きる一人ひとりの子ども・人々の具体的で個別的な生活史に即して、その生活感情の表現・語りを受けとめつつ理解し、それにもとづく援助や教育のありかたを検討しようとする実践的な方法意識を示すものとして使い、深めあっていきたいと考えています。

新たな研究方法と対象領域の開拓 

 そして、それにふさわしい思想と研究方法についても、様々な可能性を探り合いたいと考えています。
 地域に生きる子どもや発達援助者たちの声の聴きとりと記録、一人ひとりの子どもの生活・生育史の事例的検討、具体的な教育・発達援助のエピソードにもとづくカンファレンス的な学び合い、教育者・発達援助者の生活史や実践史の吟味、日常的な教育・発達援助実践への責任ある臨床研究の地道な蓄積とその理論化など、多様な試みを実際に積み重ねていきたいと思います。
 それを通して、いわゆる研究方法論(学問や思想)の理論的な探求も継続的に深めていく必要があると考えています。
 また、学校のなかで子どもが生活する時間と場所の多くは、教室の授業です。授業で、教えることに熟達した教師は、子ども理解の直観力も深く、一人ひとりの子どもの生活概念・生活感情に触れる学びを、科学的概念の探求へと媒介していく指導の重要さを熟知していることも知られています。子ども理解を深めながら、子どもの成長と発達にとって必要な「学び」の質を問いなおし、授業やカリキュラムの開発につなげていく試みも、北海道の各地域で始まっています。
 その意味で、北海道では「学び」と臨床教育学、あるいは「授業」と臨床教育学という研究領域もまた、これから深められるべき臨床教育学の一つの重要な研究テーマになると考えられます。

北海道臨床教育学会の設立を 

 この北海道の各地域で、福祉・医療・心理臨床・文化・教育などの諸分野の発達援助専門職の人々の間に蓄積されている経験と知恵を、交流し、吟味し、共有するための地道な努力を強めることが求められています。
 そして、この北海道の地に、子ども理解・人間理解とその生存・発達の援助にかかわる実践者と研究者の、対等な交流と共同研究の継続的な関わり合いの場(トポス)を、各地域で具体的に創り出すことが求められています。
 これらを実現するためには、私たちと重なる問題意識をもって展開されている諸外国の人々の臨床的な発達援助の実践・研究との交流と、そこに芽生えている概念や方法の主体的な摂取を重ねることも不可欠です。
 私たちは、これらの必要を痛感し、そのための持続的な交流と共同的な学術研究を広げ、深める場として、新しい性格を帯びた領域横断的な学会である「北海道臨床教育学会」の設立を呼びかけます。
 この北海道の地で、日本や世界の「臨床教育学」の実践・研究と深く連帯しながら、このような問題関心と課題意識を共有される方々のご参加を心からお願いいたします。

(註)  この趣意書は「日本臨床教育学会」設立趣意書(同学会設立準備会起草)に基づき、一部、北海道地域の研究活動の独自性を加味して加筆・修正を施し、「北海道臨床教育学会」設立準備会準備委員で協議して起草したものです。


 

北海道臨床教育学会 (事務局:北海道教育大学釧路校 戸田竜也研究室気付)
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